福岡高等裁判所 平成元年(く)10号 決定 1989年9月20日
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告の趣意は、附添人平田広志、同石渡一史、同古屋勇一連名の抗告申立書(附添人小野山裕治、同八尋八郎は辞任)及び同補充書(三通)のとおりであるから、これを引用し、これに対し次のとおり判断する。
一 原決定手続の法令違反の主張について
所論は、要するに、原裁判所が捜査機関に行った補充捜査の依頼及び職権証拠調は、少年法一六条、一四条により合理的に運用すべき裁量権を逸脱した違法があるので、原決定は取り消さるべきである、というのである。
そこで、一件記録を調査し検討するに、家庭裁判所における少年審判手続では、訴訟におけるような対立当事者は予定されてはいないから、裁判所が事件を受理した後に資料収集の必要が認められる場合には、裁判所自らがその任に当らざるを得ないところ、本件のように、少年が捜査段階で犯行を自白し、それを前提とした証拠資料等が収集・作成されて家庭裁判所に送致されたのちに、非行事実を全面的に否認し、アリバイを主張したため、被害者の供述内容と関連して、非行事実の成否に犯行の時間等が重要な問題点となり、既存の資料のみでは右非行事実やアリバイの真偽の認定が困難である場合には、裁判所が少年法一四条、一六条等に基づき、自己の証拠調を通じて、或いは自力による証拠資料収集能力の限界から他機関を活用して、必要な証拠資料の収集に務めることは、司法機関としての裁判所の役割からしても、適正な調査、審判のための裁量権の行使として当然に許容されるものであって、これを所論のように、事件送致時の嫌疑を洗い直す限度で、右の送致時に作成されるべきであったものに限るとか、非行事実の否定の方向においてのみ許されるなどとするのは相当でない。もとより、右非行事実の審理に関する証拠調や援助依頼などについての裁判所の裁量権行使は合理的でなければならないことは所論のとおりであるが、これを本件についてみても、原裁判所は捜査機関から所論指摘の関係書類の追送を受けるなどの証拠資料の収集を行っているが、その大部分は事案の解明上、それなりの役割を果すに必要と思料されるものであり、附添人に対しては、その後の証人尋問などで適宜、尋問資料に供させるなどしており、裁判所の右証拠収集が少年法一六条所定の権限に基づく合理的裁量の範囲を逸脱するものとは認められず、また原裁判所における各審判期日においては、附添人や少年の保護者(一二回期日は母のみ)及び姉が常に在席し、少年の権利保護に欠けるところはなく、裁判所の審判期日での証拠調に際しては、附添人の意見が聴取されたうえ、その相当多数については附添人からの取調要求(裁判所の職権発動を求めるもの)に応じて採用したものであり、かつその証人尋問や意見陳述の機会は附添人に十分与えられており、少年に不利益な方向のみならず利益な方向にも必要と思われる証拠調を行っていることなどに鑑みると、少年法一四条による原裁判所の証拠調に関して、その範囲、限度、方法についての合理的裁量権を逸脱した違法は認められない。以上のとおり原裁判所の審判手続には、所論の原決定に影響を及ぼすような法令違背は何ら認め得ないのであって、この点の論旨は理由がない。
なお、所論は、原決定が非行事実の認定につき証拠の標目を摘示したことを非難するが、少年審判における決定書の作成にあたって、一般には非行事実の認定について証拠の標目を挙示することは法の要求するところでないにしても、本件のように、少年や附添人において非行事実を全面的に争っているような場合、非行事実を認定した重要な証拠を挙示することは、原決定の事実認定を担保する至当な措置というべきであって、これをもって、原裁判所に許された証拠調に関する裁量権の逸脱を被い隠す措置であるとする所論は、到底採用できない。
二 事実誤認の主張について
この点の附添人の主張は多岐にわたるが、要するに、本件は少年の犯行ではないから、原決定には決定に影響を及ぼす重大な事実誤認があり、少年について非行はなく、原決定を取消す、旨の裁判を求める趣旨のものと思料される。
そこで、右主張のうち、右の判断に必要と認められる重要な部分について、一件記録に当審で現われた資料を併せ検討する。
1 以下、少年について本件犯行が認められるか否かについて、関係各証拠により検討を加える。
(一) 原決定も指摘するとおり、被害者B子は、昭和○○年一〇月二九日午後二時前後ころ(その時刻の詳細については、後に検討する。)学校からの帰宅中、M方裏北西の道路際で犯人から果物ナイフで脅されたのち、右M方東側軒下の空地まで連行され、同所で犯人に解放されて、逃げる犯人の後ろ姿を現認したあと自宅に走り帰ったのであるが、以上の間、犯人の確認のため薄目を開け、時には開眼して、犯人につき以下のような認識を得たことが認められる。即ち、年令一八才位、身長一六五ないし一六八センチメートル位、着衣は白ジャンパー、ジーパンズボンで黒運動靴を各着用、頭髪は五分刈り、顔にホクロ、果物ナイフ携帯、被害者の下着(灰色に人形の絵入り)を所持(以上、「一一〇番指令処理表」)、ホクロは左頬にあること(同年一〇月二九日付司法警察員甲作成の強姦未遂事件発生報告書)、なお、右の「五分刈り」とは、被害者の原審証言によると、犯人の前髪が五センチ位浮いていた旨母に話したところ、母が自分の理解で警察に届け出たもので、真実は、犯人の前髪が雨に濡れて全部上にあがり、額が出ている感じであったというのである。また、少年方から領置の符号20の果物ナイフは、当時被害者が犯人から脅された兇器に似ており、そのことは「今でも覚えている。」旨述べ、同符号23のジーパンズボンは犯人が着用していたズボンによく似ていること、同符号3の黒運動靴は、その踵あたりが、被害に遇っている際に現認したその色合いや縫目から布製と思ったこととよく似ている旨述べ(少年も、当日右の運動靴を履いていたことは認める)、原審審判廷に在席する少年の方を振り向いて確認のうえ、少年が犯人に絶対間違いない旨供述する。
(二) 次いで、本件犯行現場を管轄する○○県△警察署(以下「△署」という)△△駐在所の巡査部長甲は、一一〇番急訴による△署からの犯人手配の指令を受け、同日午後二時三〇分ころ、右駐在所を軽四輪乗用車で出発し、被害者宅に赴く途中の同二時三一分か三二分ころ、◎◎川に架橋の「X橋」東側堤防上道路の同橋の東詰めから南方に約三五メートルに進んだ辺りで、同橋に向い足踏自転車に乗って来る白ジャンパー姿の少年を現認しており、その後、被害者宅で同所に先着の県警機動捜査隊員二名の巡査と共に、被害者から聴取した犯人の人相、服装などから、かねて非行少年として把握し、先程も会ったばかりの少年Nが右犯人に似ていると感じ、その場で被害者に少年の人相を描いて示したが、髪の形だけ類似するも人相は似ておらず、少年の犯行であることが断定できなかったため、被害者を少年に会わせてその確認を得ようと考え、被害者には、単に会わせる者がいる旨告げ、被害者を自車に同乗させて少年宅に赴いたが、少年が不在のため、右甲は、少年の母K子から少年のスナップ写真(原審第二回審判期日で附添人の請求により取調べた同写真に同じ)を借り、同車内で待機中の被害者に見せたところ、ちゅう躇することなく即座に、この写真の人物が犯人である旨断言したこと(上記面割りの状況について、警察官甲が被害者に当初少年の似顔絵を示したり、少年のスナップ写真のみを示したりした点は、被害者に少年が犯人ではないかとの予断を与えるおそれがあって不用意な行為というべきであるが、被害者は警察官から与えられた予断によってではなく、事件後約一時間二〇分後の未だ犯人の印象の新しい時点で、自ら認識している犯人の左頬の黒子、厚い唇、顔の輪郭などの特徴から、少年が犯人であると即座に断言するに至ったものである)、なお、その際、右K子は、少年が何をしたのか聞きたがったので、右甲は、捜査の秘密を考えたうえ、「ナイフで女の人を傷つけたかも知れない。」旨、事実と違った説明をしたこと、更に同日、△署で捜査官が右被害者から事情を聴取し、かつ前示写真とは別の少年の写真を混ぜた同年令位の男子一〇枚の写真を示して犯人の有無を問うたところ、被害者は、自ら同写真を調べて三、四枚目に現われた少年の写真を指摘し、犯人に間違いのない旨明確に述べたこと、同署捜査官らは、犯人は少年であると確信し、少年の行方を探索すると共に、同年一一月二日付で少年に対する強姦未遂被疑事実の逮捕状発付を得、同月三日夜、△△駐在所に隣接の△△公民館付近で女性と立話中の少年を発見し、司法警察員乙において、少年に右駐在所への同行を求め、同所で「本年一〇月二九日の件で君に尋ねたいことがある。」旨の質問をしたところ、少年は、母から事前に、「一〇月二九日に警察の人が家に来て、○□の方で女の人が刺された事件があったと言って、あんたのことを聞いていた、あんた何かしたとね。」と聞かれていたので、その事件のことは知っているが、僕は何もしていない旨答え、犯行を否認したので、更に当日の行動、服装について質問すると、少年は「午後二時ころ、自転車で家を出て○○区□□の友達のQ方に行ったが不在なので、△区××団地のG方に行った。家に居た母と、遊びに行ったG君に聞いて下さい。」と言い、服装を尋ねられて、「白色ジャンパー、青色の薄いGパン」と答え、アリバイを主張したため、所轄の△署に同行を求め、取調室で犯行当日の行動について質問したが、少年が「僕は○□には行っていない。」旨否認するので、本件の被疑事実を秘したまま、少年に対し「犯行は昼間……で被害者から顔を見られている。……君にも良心があるなら被害者の気持ちを考え、正直に話して被害者に詫び……、もう一度生れ変りなさい。」などと説諭したところ、同日午後九時ころ、少年は頭をうなだれ、「済みませんでした。東○□で通りかかった女子高生にナイフを突きつけ、いたずらしようとしましたが怪我はさせていません。女の子に悪いことしたと思っています。」と述べ、本件犯行を自白し謝罪の意を述べたことが認められる(昭和○○年一一月二五日司法警察員作成「被疑者逮捕時の状況」に関する報告書)。
右の自白は、少年が他から、本件強姦未遂被疑事実を告げられたり、教示されたことが全く無い段階で、自らの良心に基づき、一〇月二九日の本件当日、東○□で通行中の女子高生をナイフで脅し、いたずらしようとしたことを認めたもので、本件強姦未遂事実の重要な部分を自己の経験した犯行として任意に自白したものであり、右供述の任意性はもとより、その信用性は極めて高度のものがあると言わねばならない。
(三) 以後、少年に対する逮捕状執行、同日付弁解録取書、翌四日司法警察員丙の取調による供述調書、検察庁での弁解録取書、裁判官の勾留尋問調書、司法警察員作成の同月九日付供述調書が各作成されたが、少年は一貫して、本件の被疑事実を認め、同犯行を否認した事実は全く認められない。被害者も、△署で取調中の少年を透視鏡を通じて確認し、直ちに、少年が犯人に間違いない旨確言した。なお少年の顔貌に対する原裁判所の検証結果によっても明らかなように、少年は、その左頬の真中辺りに一見して明瞭なホクロがあるほか、左上口唇辺りにも小ホクロが二ないし三個位認められ、口唇は上・下やや厚く、顔型も肥え気味で丸いなどの特徴が認められ、その他、被害者が被害直後に、犯人の年令(少年の年令は当時一七才九か月)、人相、身体的(同身長は一六二・八センチ(鑑別結果通知書))特徴を表現したところとほぼ一致していることなどに照らして、被害者が少年の写真(二回)や本人により確認のうえ、少年を犯人に間違いない旨断定するところは、同断定に至った以上の理由とそれが即時的、確言的であることからしても信用できる。
(四) 加えて、少年は、同月三日に逮捕状の執行により△署留置場に入れられ、翌四日未だ取調開始前の早朝、同房者のF、Uの問いかけに対し、「雨降りの昼過ぎ、自転車を押して歩いていた高校生の女をナイフで脅し、雨が降っていたので、家のベランダの下の雨が当らないところで「目ん玉やれ、それが嫌ならパンティやれ。」と言い、女を寝かせてパンティ脱がせた。どこに(陰茎を)入れていいかわからんやった。女は泣きよった。」などと自己の犯行を説明し、更に数日後、少年が被害者に陰茎を口に含ませたことについて、「気持は良かったが、歯が当って痛かった、女は下手やった。」、「事件の前日、男女の友達三人で□×の焼き鳥屋で飲んで、その後ホテルに行った。友達は肉体関係したが、自分は恥しくてしきらんやった。ホテルを朝出て、したくてたまらんやったのでやった。ナイフは家の机の中のものを使った。したいと思って女を探した。ナイフは捨てた。パンティは木の枝にひっかけたが何日かして見に行った時は無かった。」旨述べているのである。少年は一一月三日夜九時七分に逮捕状の執行を受けた際、捜査官からその被疑事実を読み聞かせられ、その後は短時間で弁解録取書を作成されたのみであり、もし、少年が犯人でないとすると、右逮捕状記載の被疑事実以外の事実は全く知る余地はなかったのであるが、少年は、右Fらに対し、右読み聞かされた逮捕状の被疑事実には記載の無い「(雨の中を)自転車を押して歩いていた高校生……に」ナイフで脅した旨秘密の暴露に比すべき供述をし、また経験した者しか知り得ないところの陰茎を被害者の口に含ませたことや、「歯に当って痛かった、女は下手やった。」、などの事実を述べたことが認められる。
(五) 更に、司法警察員丙が、少年を立会人として一一月八日午前一〇時三〇分から同日午前一一時三〇分の間、前記M方付近一帯を実況見分した際、少年は、その指示説明として、同捜査官に対し「自転車を○○台団地入口から一三〇メートルの東○□××××番地の××L方前の◎×バス○○営業所のバス駐車場金網フェンス下に置いたこと(右実況見分調書現場見取図2の点)、右団地入口から○○台団地に至るバス通りを山手の方へ歩いて登り、東○□××××番地○○台団地の汚水処理場前(右自転車を置いた地点から約一〇〇メートル・同見取図2の点)で、一〇〇メートル位先を歩く被害者を認めたこと、更に同所から約四〇〇メートル先の同東○□××××番地の×M方裏の道路右端空地(同見取図2の
ところで、捜査官は、右各実況見分に至るまで、警察署内での取調に際して、少年と被害者双方から、犯行の行われたそれぞれの場所について、おおよその説明を受けていたものの(少年の昭和○○年一一月四日付司法警察員に対する供述調書及び末尾添付現場見取図並びにB子の同年一〇月二九日付司法警察員に対する供述調書及び末尾添付見取図参照)、犯行の現地におけるそれぞれの地点について具体的認識がなく、その把握のため少年らを立会わせて実況見分に及んだものであるが、被害者に先行して実施された少年の犯行現場での各犯行地点の指示と同所での犯行態様の説明は、それらの各地点でなされた少年自らの具体的犯行経験に基づく認識を捜査官に表明したものであって、その際、少年が明らかにした右M方裏北西側での犯行着手地点及び同家東側軒下での強姦(未遂)地点及びその各犯行状況は、その後に被害者の立会いで実施された実況見分での被害者の指示する各被害地点及びその被害状況とは、その中間地点を除いて殆ど合致しており、右中間地点での前記通路における被害者に「目をやれ云々」と脅迫した地点のみはいくらかの相違はあるが(このことは、捜査官が、右の各実況見分に際して少年及び被害者に何らの示唆を与えることなく、同人らの指示するに任せたことが窺われ、各実況見分の結果の信用性を高めるものである)、各犯行地点間の移動の経路も合致しているなど、前記少年の立会いでなされた実況見分調書中の少年の指示説明の真実性は大であり、かつ犯行着手と姦淫未遂の各地点を特定した部分は、被害者が指示特定しない以前においては、犯人でない限り知り得ない事実を明白にした意味で、秘密の暴露に類するもので、その信用性は高度であり、右実況見分調書は、被害者の立会下に実施された前示の実況見分調書と相まって、本件強姦未遂非行事実の立証に果す証拠価値は大なるものがある。
(六) しかも、少年が、前記中間地点(
以上に検討したところの各認定事実を総合すれば、被害者B子に対する本件強姦未遂の犯行は少年の所為によるものと断定するに何ら支障はない。
2 そこで以下、本件は少年の犯行でないとする所論について、重要と思料されるところを順次判断する。
(一) 先ず、所論は、被害者B子が捜査段階や原審証言において、一貫して、犯行時間は二〇分間位であった旨述べており、その終了時刻が犯行当日の午後二時一〇分ころであったことからして、犯行着手時刻は午後一時五〇分ころであり、少年は当日午後一時四五分ないし五〇分ころ家を出ているのであるから、少年が本件犯行を行うことは時間的に不可能である旨主張する。
(1) そこで検討するに、右被害者が前記認定のM方東側の軒下空地で犯人に解放された後、直ちに自宅に戻り、母のW子に被害事実を告げ、同人が警察への一一〇番電話により右被害の事実を申告した時刻が同日午後二時一四分であったことは、「一一〇番受理状況について」と題する電話聴取書によって明らかであり、所論も右事実を認める。そして、右犯行終了の場所と被害者の自宅までの距離は僅か約六四・六メートル(直線距離約五〇メートル)で、被害者は犯人から解放された後、右M方前の道路に出て逃走する犯人の後ろ姿を見たうえ直ちに自宅に走り帰り(その所要時間は一分かからないという)、手短かに被害状況を母に話し、母から直ちに前示の一一〇番通報をしたものであって、それらの状況は、前示の「一一〇番指令処理表」及び「強姦未遂事件発生報告書」に各記載のとおりであり(なお被害者は、右の他に、母には、左口唇上辺りを手で示して、犯人の同部位にホクロがあったことも、同時に告げた旨供述する)、被害者の原審第二回審判期日における証言(八一項)では、母に対して以上の被害状況の報告に要した時間は一、二分位というのであるから、犯行終了時刻は同日午後二時一〇分過ぎころと認めるのが相当であり、この点では所論とさして相違するところはない。
(2) 次いで、前示M方裏西北路上における犯行着手の時刻であるが、これについては時計で確認されたものはなく、犯人以外の犯行目撃者は全く無いので、被害者の供述にかかる被害の状況等により推認の外はないが、前掲同人の司法警察員に対する各供述調書、原審における各証言、昭和○○年一一月八日付司法警察員作成(立会人B子)の実況見分調書によると、右被害者が私立高校からの帰途、◎×バス○○営業所停留所に下車し(その時刻は後に詳説する)、降雨中のため一方の手に傘を持ち、他方の手で足踏自転車を押して歩き、前記M方裏西北路上(右実況見分調書添付の見取図2「刃物を突きつけられた位置〓」の点)に来たとき(以下、先に認定したところと一部重複するが、犯行着手時刻の認定の必要上、更に詳細に認定する)、「後ろから来た犯人(既述のとおり少年、以下同じ)に、手で首を巻かれ、左首筋に果物ナイフを突きつけられ「静かにしろ、傘を畳め。」と脅され、自転車は地上に横転し、前籠から荷物がこぼれ出た。犯人はナイフを首筋に突きつけたまま「前に歩け。」と言うので、荷物を拾って歩いた。犯人が「目をつむれ、顔を見るな。」と言ったが薄目を開けていた。犯人は被害者を先に歩かせ橋を渡って家と家との路地に入り、真中辺りまで来たとき「座れ」と言われてしゃがみ込んだ(右見取図2「刃物を突きつけられて座らせられた位置」〓の点)。同所で犯人がナイフを右手に突きつけ「目をやれ」というので、「目だけは駄目。」と断ると、「目をやりたくなかったらお前のパンティをやれ。やれば逃がしてやる。」といわれた。被害者は立ってパンティを脱ぐ振りをして逃げる機会を窺ったが、犯人に制服をつかまれ逃げ出せず、またナイフを首筋に突きつけられ前に歩かされた。途中、犯人は「俺はむしゃくしゃしている、何をするか分らん、来い。」などと言っていた。犯人は被害者をM方東側通路の奥に連れ込み(前記見取図2・犯行現場〓の点)、被害者の前に立ち、左手でナイフを突きつけ、右手で被害者の肩を押し「仰向けに寝ろ。」と言って、同所の土の上に仰向けに寝せたうえ、直ぐに馬乗りになり、スカートをまくり上げ、パンティを脱がせ、手で陰部をいじり始めたが、被害者が股間を堅く閉じていたので思う様にならないためか両手で被害者の首を閉め、抵抗をやめさせたのち、犯人において、腰を少し上げてズボンとパンツを膝の辺りに下げ、被害者の両足を広げ、その中に両膝を入れ、陰茎を陰部に押しつけ入れようとしてきた。被害者が堅く両足を閉じ腰を左右に振ったため、陰茎は入らなかった。三回か四回、陰茎を入れようと試みていたが、その都度、前同様に抵抗したので陰部に入らなかった。犯人は「入れさせなかったので、なめろ、なめたら帰してやる。」と言うので、犯人が口に近づけた陰茎を口の中に入れると、直ぐ犯人は陰茎を抜いてズボンを上げ、元来た道を逃げて行った。その際、「目をつぶっていろ。」と言っていたが薄目を開けて見ていた。被害者のパンティは犯人が持って行った、というものである。前掲の少年立会いの実況見分調書によると、犯行着手地点
(3) 次に、少年が右の犯行現場において、右の犯行着手時間内に犯行の着手が可能であったかについて検討する。
イ 先ず、少年が自宅を出た時刻について考えると、少年は、本件前日の一〇月二八日友人のG、女友達のR子の三人で、他の知人一名と共に○○区□×界隈の飲み屋で相当量を飲酒し、××団地内の右G方に帰ったところ、GがR子にホテルでの遊びを誘い、これを承諾した同女の希望もあって少年も行動を共にし、翌二九日午前零時過ぎころ○×のモーテル「○×○」に宿泊し、Gが少年の面前でR子と肉体関係したあと、同女が少年を自己との肉体関係に誘い、少年もこれに応じたが、飲酒の酔いから陰茎を挿入できず、その後も同女の刺激的挑発にもかかわらず、同女を性的興奮に至らせることができず、少年は情けなく思いながら猥褻ビデオで性的欲望を紛らわせたのち、同二九日午前三時半ころから三〇分位同室で一眠りして、同日午前四時ころ三人で同ホテルを出、G方に帰宅して仮眠のうえ、午前七時過ぎ学校に行くGと別れ、同日午前八時一〇分ころ自宅に帰り二階の自室で就寝した。
ところで、少年の母K子の司法警察員に対する供述調書によると、同女は同日午後一時一五分か二〇分ころ勤め先から帰宅して直ぐ、寝ていた少年を起こし、「雨も降っているので今日はどこにも行ったらいかん。」などと言って、少年や少年の姉P子の三人で昼食し、そのあと少年が「G方へ行く」というので、これを制止したところ、「Q方に行く」旨称して、同人方のある南に向け自転車で行ったというのであり、右K子の原審第四回審判期日での証言では、「当日は午後一時二〇分家に帰った。昼食に卵焼か何か作り、少年も食べた。少年は午後一時四五分か五〇分ころに家を出た。少年が起きるのに一〇分位かかった(四項)。ぐっすり寝ていたので起すのに時間がかかった(六〇項)。食事の準備に一五分位かかった。」旨証言し、附添人が原審で提出したK子の申述書によると、「帰宅後直ぐに、二階に上って少年を起したあと、前夜の行動について十分間位叱り、一緒に階下に降りて食事をした。簡単なおかずを作り、少年は御飯二杯食べた。食事後、少年は着替えて外出した。家を出たのは午後一時四五分過ぎと思う」旨の申述内容が認められるが、以上の同人の供述間には一貫したものが窺えない。当初の司法警察員に対する供述では、二階で寝ていた少年を起こし、今日はどこにも行かないよう注意したというのであり、寝ていた少年を起こすのに、さして時間が掛った様子は窺えず、前示の上申書における同人の供述でも、右と同旨の事実が認められるが、前掲証言では、少年がぐっすり寝ていたので起こすのに十分位かかった旨述べているのである。少年の昭和○○年一一月九日付司法警察員に対する供述調書(四項)によると、「僕が部屋で……ぐっすり寝ていると……帰って来た。母さんが二階の僕の部屋に来て「あんた昨日どこに泊っとったね。」と矢釜しく言われて起されたので、G方に泊っていたというと、……怒っていた。それから僕は昼御飯食べたかどうか覚えないが……ナイフを持って……。」などと供述しており、以上の諸事実を併せ考えると、K子は帰宅するなり、寝ていた少年を矢釜しく叱りつけて起こしたもので、前示の少年を起こすのに十分位かかった旨の証言は信用し難く、少年を起こしたあと十分位叱りつけた旨の申述も、後に認定するとおり俄かに措信できない。また少年の姉P子の同年一一月六日付司法警察員に対する供述調書によると、「本件当日、母が午後一時二〇分ころ帰宅し(同時刻は、普段より母の帰宅が早かったので、右P子が時計を見て確認しており、信用性は高い)、二階で寝ているNを起こしに行き、一〇分位して降りて来た。そのころ自分は正午過ぎから始まり、一時五〇分までのTBSテレビのサスペンスドラマ「悲しき母子鑑定」を見ていた。母は昼食の用意をしてNと食事し、その間二人で話していた。食事は一〇分か一五分位で終ったと思う、食事が終って、Nが遊びに行くと言うので、母が引き止めていたが、「どうしても行く」といって、母を無視して出て行った。午後一時四五分ころで、そのころテレビドラマの終りかけで一生懸命見ていたのでNの服装など判らない。Nは寝起きがすごく悪く、起すのに、いつも時間がかかっていたので一〇分位経っていた。母達の昼食中もテレビを見ていた。食事の時間ははっきり分らない。」旨述べ、また原審第四回審判期日において、「母が少年を起こして降りて来たのは一〇分か二〇分位後だった。少年が家を出たのは、ドラマの本編が終る二、三分から五分位前であった。午後一時四五分ころと思う。最後までテレビ見ていた。」旨証言し、更に一一回審判期日では、「弟が家を出たのは、自分がテレビ見ていると、後ろの方で、母と弟の話し声が聞えなくなり、母が出て行く弟を追いかけて行くのが判ったので、その時と思う。」旨証言するのである。右ドラマの本編が終了した時刻は、当裁判所が取寄せた「APS運行リスト」によって明らかなように、同日午後一時四七分五五秒であり、これを基準にした前記P子の証言からは、少年が家を出た時間は、おおよそ一時四二分ころから一時四五分ころの間ということになるが、右P子は、そのころ同一二時二分から始まった○○放送テレビ局の「悲しき母子鑑定」の一時間五〇分にわたる長編テレビドラマを見ていて、しかも、その最終場面(クライマックス)が同日午後一時二八分四六秒から放映されており、その画面に関心を奪われていたのであるから、前記の各時間についてはさほど正確なものとは認め難く、特に、同人の前記第四回期日での「母が少年を起こして降りて来たのは一〇分から二〇分位後であった。」旨の証言は、本件での問題点を明らかに意識し、殊更に時間の経過を増大させようとする意図が窺われ信用できないし、前掲捜査官に対する供述で、寝ていた少年が母から起こされ一〇分位して階下に降りて来た旨述べるところも、少年の普段の寝起きの悪さを理由にして推測したもので、前示認定の少年が母に矢釜しく起こされた状況に照らして即座には信用し難い。
一方、少年の司法警察員に対する昭和○○年一一月四日付供述調書によると、「今迄女と性交したことはないので中学生か高校生をナイフで脅して強姦してやろうと思い立ち、午後一時過ぎか一時半ころ母にはG方に行くと言って、黒のカマキリ型自転車に乗り家を出た。□□田団地を回り女の子が居なかったので、○○台団地の方に行って見ようと向った。」というのであるが、右供述中、家を出た時刻について述べる部分は、時間の開きにおいて三〇分もあり、余りにも大雑把な供述であって、これまでに検討した本件犯行状況、右K子、同P子らの各供述に照らし信用できるものではない。なお少年の原審での供述中、「家を出たのは午後二時ころ」とあるのも、これを信用できる根拠に乏しく、到底措信できない。
以上の事実を総合すると、少年は、午後一時二〇分ころ帰宅した母に起こされて、母から前夜帰宅しなかったことなどを矢釜しく言われたのち、母が簡単に作った昼御飯を二杯食べ(約一〇分位)、なおも母から、今日は降雨中で外出してはならないこと、特にG方には行かないようにと注意されながら、そのころ既に内心では女性と肉体関係をもちたい考えになっていた少年は、母の注意を聞く耳もなく、Q方に行くなどと称して早々に着替えた後、自転車に乗って家を出たものと認められるのであって、結局のところ、少年が自宅を出だのは、姉P子が居間で前記のテレビドラマの最終本編部分を未だ観覧中の同日午後一時四〇分前後ころであったと推認するのが相当である。
ロ 次に、少年の家から本件犯行着手地までの所要時間を検討してみるに、昭和○○年一一月二三日付司法警察員丁、司法巡査戊作成の捜査報告書によると、右両捜査官は、少年の自供に基づく少年の自宅から犯行現場間の経路を、その距離と所要時間について実測し、少年の自宅から少年が自転車を置いたと称する前掲◎×自動車○○営業所北側路上までの距離は四・一キロメートル、足踏自転車での所要時間は一一分三五秒(但し、途中には、犯行時はなかった工事中の道路個所があり、約五〇メートルの非舗装道路を迂回して実測したもの。従って、その分、所要時間は短縮される)、右自転車を置いた個所から前掲M方裏北西の犯行着手地点までの距離は〇・四五キロメートル、徒歩での所要時間は四分二三秒を要すること、従って、少年の自宅から約一六分位で右犯行着手場所に到着することが可能と認められる。
そして、右認定の所要時間や前認定の少年が自宅を出た時刻等を考慮すると、少年において、前示の犯行着手時刻と推認できる午後二時少し前ころから同二時ころまでに、右犯行着手場所への到着は時間的に可能ということができる。
以上において各認定の諸事実を総合すると、少年が犯行当日自宅を出た時刻は、前示犯行着手地までの所要時間や前記認定の犯行が着手された時刻に相関連させて考えてみても、少年が本件犯行の犯人であると認定する上において、時間的にも、格別、不自然、不合理と認められる点はないということができる。
(4) 附添人は、この点について、被害者が捜査官に対し、「一〇月二九日は午後一時三〇分ころ○○△○バス停留所から×○×行きのバスに乗車し、午後一時三五分頃○○営業所でバスを下車した。」旨述べている点を捉え、当時の◎×◎△線の時刻表によれば、右×○×行きのバスで午後一時台に右○○営業所を通過するのは、午後一時三分、同二三分、同五六分の三本であり、右の午後一時三分、同五六分の各バスは、犯行状況に合致せず、従って、被害者は右午後一時二三分に○○営業所着のバスで下車したとするのが相当であり、そうすると、同バス停留所から本件犯行着手地点まで同被害者の所要時間は約一五分であるから、右犯行着手は、午後一時三八分に開始されたことになり、その時刻には、少年が自宅に居たことは明らかであるから、少年宅から右犯行場所までの所要時間を併せ考えてみても、本件犯行が少年によってなされたものでないことは明白である、というのである。しかしながら、もし、被害者が所論の×○×行きのバスで午後一時二三分に○○営業所バス停留所に下車し、犯行着手時刻が午後一時三八分ころであったと仮定すると、前記認定のとおり、同被害者が犯人逃走後直ちに自宅に走り帰り、間もなく、母を通じて一一〇番通報をした時刻が午後二時一四分であったことは確定的事実であるから、右被害者は所論主張の犯行着手時刻の午後一時三八分から、所論も争いのない犯行終了時刻の午後二時一〇分過ぎころまでの約三二分間余の間、本件の被害に遇っていたことになり、前記認定の犯行状況と、一般的に被害時間を長く感じる傾向にある被害者でさえ、被害の全時間は約二〇分位であった旨述べている点からして、そのような長時間の被害に遇ったとは到底解し難いのであって、本件犯行の着手時刻を午後一時三八分ころとする所論は不自然、不合理であり到底採用できない。この点、被害者は、当日下校のため×△停留所でバスに乗車し、同バスを買物のため△○バス停留所で下車した事実が認められ、また、普段の通学に×○×行バスをも利用していたことから、被害者の前示△○から「×○×行きのバスに乗った。」旨の供述は、その行き先について誤解ないし誤認したものと解するのが相当であって、当審で附添人が提出した路線バス時刻表(弁一号証)と、前認定にかかる犯行開始時刻、○○営業所バス停留所から犯行開始場所までの所要時間を考慮すると、被害者は、○○△○バス停留所を右路線バス時刻表にある午後一時三〇分発「◎△小学校前」行に乗車し、○○営業所バス停留所に同三三分ころに下車したか、或いは同時刻表にある午後一時四〇分発「○○営業所」行のバスに△○バス停留所で乗車し、同四三分ころに同営業所バス停留所に下車したかのいずれかであったと見るのが相当である。そのいずれであったか断定できる証拠はないが、いずれにしても被害者は、右停留所に右時刻ころ下車後、付近に置いていた足踏自転車をとり、傘を差し自転車を押して自宅への道を歩き、途中寄り道することもなく、前記の被害に遇った地点(
(二) 次に所論は、少年は、本件当日午後二時ころ家を出て、就職祈願のため○△神社に行き、そのあとY商店で午後二時二五分ころ友人のG方に電話し、その後Q方に行った後、午後三時一〇分ころ右G方に行ったから、本件犯行現場には行っていない旨、アリバイを主張するが、少年が右午後二時ころ自宅を出た旨の、右出発時刻に関する供述部分が到底信用し難いことについては、既に判断したところであり、また、少年が自宅を出た後、○△神社に行ったとする点も、少年の母K子が少年の外出を見守り、少年が南方のQ方の方向に行った旨証言しているうえ、少年自らも、前示のとおり、一一月三日夜、△△駐在所において捜査官から犯行当日の行動につき質問された際、「自転車で家を出て○○区□□の友達のQ方に行ったが不在なので、△区××団地のG方へ行った」旨、母親の右証言と同旨の供述をしながらも、アリバイを主張しているのであり、もし少年が本件犯行時ころ○△神社に行ったことが真実であれば、その事実は、右アリバイの主張において核心的な重要事実であり、当然、右捜査官に主張すべきであり、また主張するに何らの支障はなかったと思料されるのに、その主張はなく、しかも自宅を出て右○△神社に行った旨の少年の弁解は、本件犯行を否認し始めた後に初めて出て来たもので、これまで認定した前記の諸事実に照らして到底採用できるものではない。
(三) また所論は、本件を少年の犯行と認めるについて動機がない、と主張するが、少年の前示一一月九日付供述調書四項には「僕は、昼御飯食べたかどうか覚えませんが、「モーテルの事を思い出し、ボボしたくなり、……母はもう行きなんな、昨日のこともあるけん」と矢釜しく言っていたが、そのまま自転車で出て行った。」旨、犯行への動機を述べているのであって、右「モーテルの事を思い出し」とは、右供述調書二項において、少年が詳細に供述し、先にも認定したとおりで、犯行当日の午前零時過ぎから同三時過ぎころの間、○×のモーテル「○×○」で、GとR子との肉体関係を目の前にし、自らも同女との肉体関係を試みたが、酒酔いのため目的を達し得なかったという生々しい出来事を経験したばかりのことであり、右出来事は、少年が若い女性との肉体関係を持ちたい旨の欲望と衝動性に駆られ、本件犯行への行動に出るにつき十分な動機であると認められる。
(四) 次に、所論は、少年は犯行当日は、胸にワッペン、背中に文字のあるボタン式の白ジャンパー(当庁平成元年(押)第一号の1)を着用していた旨主張するが、犯行当時、少年が少し薄手の白い無地のチャック式ジャンパーで(なお被害者によると、胸の開きに、片側だけ衿のようなものがあった旨、少年の上衣について詳細に現認した特徴を述べる)、胸のワッペン、背中の文字などはなかったものを着用していた事実は、被害者が極く近接した間隔で確認している(前記の押収にかかる白ジャンパーは、胸のワッペン、背中の横文字、両袖口の色模様など、白無地ジャンパーと比して際立った特徴を示しており、少年が犯行時着用しておれば、通常見落すということは考え難い)のみならず、本件事件の発生の僅か二〇分位後の午後二時三〇分過ぎころ少年と遭遇した甲巡査部長が、少年が胸にワッペンのない白い無地のジャンパーを着ていたことを現認しており(同人の原審第三回審判期日における証言一六項から二一項、同人の昭和○○年一一月二二日付司法警察員に対する供述調書七項、八項)、また、少年と遊び仲間のA子の原審第四回審判期日での証言(特に一七項)、同人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書によると、少年が、胸にワッペンのない無地の白い上衣を着ているのを見たことがあり、少年が他にも胸にワッペンのついた白ジャンパーを着用していることを知っているので、それと間違えることはない旨供述することによっても明らかである。
なお少年が、所論の胸にワッペンなどがついたボタン式の白ジャンパーを通常着用していた事実は、少年、K子、G、甲、A子らの各供述によって認められるが、そもそも本件は、少年が偶々の外出中に性的欲望に駆られて敢行したのではなく、自宅を出発する前から、前記の性的犯行に出る考えであり、しかも、同犯行に使用する目的で前示の兇器を携えたもので、少年には、自宅出発前から明らかに強姦行為をも敢えて行う意図があったものと認められ、このような兇悪な犯罪行為を自宅を出る当初から意図する少年が、日常に多用し外部の関係者にも知悉されて犯行発覚の虞れが高い上衣を、しかも犯行後に犯行発覚を恐れて兇器など処分した程の少年にとって、このことが容易に判断できるような所論のジャンパーを上衣に着用して、本件犯行に赴いたとは容易に考え難く、また、前記少年の犯行着手状況についての被害者の供述をみても、少年は、犯行着手後ナイフを突きつけた被害者に対し、「目をつむれ、顔を見るな。」と脅迫しており、右文言は、犯行時の着衣については警戒するところはないが、覆面などしない以上隠し様もない顔貌を被害者に見られることを恐れたためのものと思料される。ところで、少年が本件犯行後に所論の胸にワッペン付白ジャンパーを着用してG方に現われたことは真実であると認められるが、普段は同人ら間では服装の話など話題にならず、同人からも尋ねられもしないのに、少年は「靴下を除く服装は昨日と全く変っていない。」などと述べているのであって、右の言動は、前夜来から犯行当日の早朝まで行動を共にしたGに対し、殊更に自己着用の上衣などが変っていないことを印象付けようとする意図に出たものと思料され、右G方に来る直前に、兇器のナイフを川に投棄し罪証の隠滅を図ったような少年が、犯行時の衣類をそのまま着用して殊更他人に見せつけ、犯行の発覚を容易にするなどとは到底考え難いうえ、前示少年の供述や昭和○○年一一月二二日付司法警察員丙作成の捜査報告書、同月二八日付司法警察員己作成の裏付捜査報告書によると、少年は、所論指摘のとおり、同日午後二時二五分ころ、Y商店で××団地内の右Gに遅参を詫びる電話をしたのち、近くの○○区大字□□のQ方に四、〇〇〇円の貸金を取りに行き、同人の不在のため、すぐ引返して右G方に向ったことになるが、前示のとおり少年は、その途中の同日午後二時三一、二分ころ、X橋付近で自転車に乗り北方に向けて走行中を甲巡査部長に目撃され、同日午後三時一五分か二〇分ころ右G方に到着していること(附添人提出のGに対する電話聴取書)が認められ、右甲の目撃時刻と少年のG方到着時刻との間には約四五分から五〇分位の時間が経過しているところ、前示甲の目撃地点と右G方間の距離は約四・五キロメートル、自転車での所要時間は約一三分三三秒であるから(前掲・昭和○○年一一月二三日付司法警察員丁、同戊作成の捜査報告書)、右の所要時間を前示の経過時間から差し引いても、なお三〇分余の時間的余裕が認められるのであって、前記少年のG方での殊更な言動は、既に少年が犯行時のものでない衣類に着替えていた安心感から出たものと解する余地が多分にある。
以上の各認定事実を併せ考えると、前記被害者や甲の、少年が犯行時或いはその直後ころ、胸にワッペンなどの無い白ジャンパーを着用していた旨の各供述は十分信用することができる。
(五) また所論は、本件が少年の犯行とすれば、犯行に使用されたとするナイフ及び被害者から持ち去ったパンティが証拠物として見当らず、少年の犯行を裏付けるものはない旨主張するが、この点、少年は捜査官に対し、犯行後、右パンティは◎◎川堤防のX橋手前の草むらに隠し、同ナイフは、G方に行く途中のZ大橋付近で川の中に投げ捨てた旨自供したため、右犯行の九日後の同年一一月七日右各現地に少年を同行し、その地点を指示させ、同所付近を探索したが、その所在を発見できないままに至っていることが認められる。しかし、前記認定のとおり、少年が、本件犯行に際し、果物ナイフを脅迫に使用したこと、被害者がパンティを少年に脱がされ、犯行後、それが見当らなかったこと、少年が、右パンティを持って逃げたであろうことは事実であって、右証拠物が少年の供述する場所から発見されないことから、直ちに本件が少年の犯行でないとは到底言えるものではない。
(六) また所論は、本件の犯行時の降雨からして、少年のズボンに泥が付着する筈なのに、その付着がないというのである。この点、犯行直後の少年のズボンに泥の付着がなかった旨、信用できる証拠はないのみならず、仮に泥の付着がなかったとしても、少年は被害者にスカートをはかせたまま地面に仰向けに寝かせ、スカートの前方部分をまくり上げ、被害者の両足の間に割り込んで姦淫行為に及ぼうとしたもので、少年のズボンは同女の膝下辺りまで地面上に残ったスカートの背面部分の上に乗ったため汚れが少なかったものと思料される。
(七) 更に所論は、少年は、昭和○○年一一月三日午後九時七分に逮捕状により逮捕されたこととされているが、事実は、同日午後七時四五分ころ少年が任意同行を受けた△△駐在所から更に所轄の△署に強制的に連行され、その五分後の五〇分ころ警察官が少年の母親に、少年を暫く預かるなどと連絡しているから、右の時点で逮捕されたというべきで、逮捕状の執行時刻を同日午後九時七分としたのは、意図的に逮捕の時刻を後にずらして身柄拘束期間を潜脱するもので、本件逮捕は違法であり、その後の少年の身柄の拘束及び取調手続をも違法とする、というのである。しかしながら、少年の母親に対する右の連絡は、少年からの事情聴取が夜間であり、少年を逮捕するに至った場合に備えて着替えなど持参するよう連絡したもので、右の連絡により直ちに逮捕状の執行があったと解すべきではない。しかも、福岡地方検察庁に対する本件の送致が昭和○○年一一月五日午後一時二五分になされていることを併せ考えると、捜査官が意図的に身柄拘束時間の制限を潜脱したものとは認められず、むしろ、警察官が既に同月二日に少年に対する本件の逮捕状発布を得ながら、少年を発見して直ちに逮捕することなく、少年に本件当日の行動について質問をするなどし、その自白を得て初めて逮捕に踏み切ったのは、被疑者が少年であることから慎重に強制処分に及ぼうとしたものと考えるのが相当であって、右の逮捕手続やその後の取調手続などに、所論の違法は認められない。
(八) 更に所論は、少年の捜査官に対する自白調書は、捜査官の少年に対する脅迫や少年の捜査官に対する迎合によってなされた自白に基づくもので、同自白調書には任意性や信用性がない旨主張するが、前示のとおり、捜査官は少年を△△駐在所から△署に任意同行を求めたのち、同署取調室で本件強姦未遂の事件内容を一切明らかにすることなく、少年の良心を喚起して、少年自らが自己の非を悟り自主的に事実を打ち明けるように配慮し説得した結果、少年は本件犯行を自白し(少年は、右自白後に逮捕状を執行され、その被疑事実を読み聞かされて始めて、自己の本件容疑内容を知ったもので、それまでは自己がナイフで若い女性を傷つけた旨の容疑で警察の捜査を受けているとばかり考えていたのである)、前記二通の供述調書の作成に応じたのであって、以後家庭裁判所への事件送致まで右自白をひるがえしたこともなく、そのころ同署留置場の前示同房者F、U、更にはCに対して、本件犯行を打ち明け、その一部には、前示のように秘密の暴露に準ずべきものが認められるなど、捜査官が脅迫をしてまで無理に少年の供述を求めなければならないような理由や、その必要性など全くないのであるから、右捜査官に対する供述調書の任意性はもとより、少年が記憶するまま本件の真相を供述したと認められることや、前示実況見分の結果を併せ考えると、右供述調書の供述内容の信用性も十分認めることができる。
なお、少年は、原審審判期日において、前示各供述調書は捜査官の誘導によるものである旨弁解するのであるが、以上認定した諸事情に照らして、到底信用できない。
附添人のその余の所論を検討しても、以上の認定を左右するに至らない。
以上、種々検討したとおり、原決定に至る原審の審判手続には何ら違法・不当の瑕疵はなく、また、本件強姦未遂を少年の犯行と認定した原決定は、その理由において幾らかは当裁判所の認定と相違する点があるが、右結論において正当であって、何ら所論の事実誤認は認められない。
よって、本件抗告は理由がないから、少年法三三条一項、少年審判規則五〇条により、これを棄却することとして、主文のとおり決定する。